キャンパスをとぼとぼ歩く。もう、どうしたらいいのかわからない。
治るの?治らないの?
「涼香?」
前方から声をかけられ顔を上げる。
「亮クン。」
いとこの亮クンだった。亮クンは少し離れたところに住んでいる。
今年の春、偶然同じ大学に入った。同じ年だったが異性だったから、祖父母の家に行ったとき少し話す程度であまり仲良いと言う感じではなかった。
「何?帰り?」
「うん・・・。」
あたしは無理やり笑顔を作る。そんなあたしを亮クンは眉をしかめジッと眺めた。
「元気ねぇな。おし!!」
何かをひらめいたかと思ったらあたしの腕を掴んで学バスの方向に歩き出した。
「ちょ・・・亮クン授業は!?」
「サボリだ、サボリ。たまにはそれも大事だろ。」
引っ張られるままに学バスに乗り込んだ。
駅に着くと喫茶店に入った。
「あたしそんな気分じゃないんだけど・・・調子悪いなら早く帰って明日からまた元気の学校行けるようにしなくちゃ。亮クンだってサボっていいの?」
「良いから、良いから。で、どうしたんだ?泣いてたんだろ?」
ズバリと指摘されあたしは顔が赤くなった。
「目・・・赤くなってた?」
「いいや、勘。しかも、笑顔作るの下手すぎ。目が笑ってないしな。」
あたしってば、バカ。
ため息を一つつくと、しぶしぶ話した。
「あたしね・・・自律神経失調症なんだって。だから、関わらないほうが良いよ。」
関わったらたくさん迷惑がかかるから。
迷惑をかけるくらいならあたしは一人で頑張りたい。
「なんでだよ。俺だって高校時代そうだったし。」
亮クンはムッとした顔をしていた。
「え。」
初めて聞いた。あたしは、全然知らなかった。
きっと、知ったところで「大変だね、頑張れ!」って言ってただろう。本人の気持ちもきちんと知らないで。きっと、辛い思いは経験した人しかわからない。経験しないで応援してもきっと、心に伝わりはしないだろう。「頑張れ!」なんて応援は簡単に出来るけど、言われた側はそれがプレッシャーになる事もある。
もし、今の私が、気持ちがわかっていない人から「頑張れ!」って言われたらきっと辛い。それを心から言われていないのならなおさら。
わかってくれる人はきっと、「頑張れ!」なんて言わないだろう。
その人は、本当に欲しい言葉を知っているから。
「俺も最初はびっくりしたよ。今は落ち着いたけどな。」
ニッと笑顔を見せられる。心の底からの笑顔だった。あたしは、今まで心の底から笑ったことなんてあっただろうか。
心から笑うのはどんな気分なんだろう。
優しい気持ちになれるのかな?
「俺は高校のとき、部活とバイトと成績との重圧に耐え切れなくなった。何でも神経質に真面目に取り組みすぎてな。頑張んなくちゃいけない。もっと、もっときちんとこなさなくちゃいけないってな。」
そういえば、亮クンは変わった気がする。昔から根が真面目な性格をしていたが、いつの頃からだろう、その中に固さがなくなった気がする。
それに、雰囲気が柔らかくなった。
昔は、関わるな。って感じがしていたのに。
気づいたら亮クンはあたしより一歩も二歩も成長してた。身長だけじゃなくて心が・・・。
「あたしね、なんでストレスが溜まってこんなになってるのかわからないの。高校まで全然平気だったのにいきなり、こんな・・・」
また、ぼんやりと視界が滲んだ。
言いたくなんか無かったのになんでだろう。
あたしは誰にも言わないで一人で抱えて頑張っていくつもりだったのに。
言葉も涙もどうして溢れるの?
「じゃあさ、涼香、今までのこと教えてくれねぇ?」
「うん・・・」
あたしは、今までのことを一通り話した。大学に入ってからのことだけを話した。心のどこかで少しずつ、だけど、確実に大きくなっていった黒い不安なもの。
それは未来に対する不安とプレッシャーだった。もう、見ないふりなんて出来ないんだ。
入るまではワクワクして光り輝いていたのにだんだん不安になっていった。
怖かったんだ。いろんな人から話を聞けば、聞くほど今までの生活とは違うものばかりで、いきなりそんなこと言われてもうまくこなせるか心配だったんだ。
高校までと違って全て自分で決めなくちゃいけなかった。時間割も教室も自分の居場所も。
お先真っ暗な感じで手探りだった。
気づいたら周りから取り残されていた。
見渡したら皆、先を歩いていた。
父さんにも母さんにも相談できなくて、学校に行って帰るだけでいっぱいいっぱい。
ほかの事に目を配る余裕なんて無かった。
亮クンはうんうんと頷くと一言。
「環境に慣れてない。その上、独りで頑張りすぎ。」
「・・・・。あたし、就職して無くて良かったかも。」
就職してたらあたしどうなっていたんだろう。
就職なんて大学とはもっと違う。
あたしきっと、もっとついていけなくてクビになっていたかもしれない。
そう思ったら、少しだけ怖くなった。あたしは、卒業した後就職できるのだろうか?
「はは、まぁ、そう言う事はひとまず置いといてだな。まずは、環境に慣れろ。とは言ってもこれはすぐできるもんじゃねぇな。誰かにサポートしてもらえ。」
「甘えるのは・・・嫌。」
はき捨てるように言うと亮クンの顔が少し険しくなった。
「甘えるんじゃない。頼るんだ。お前独りじゃ両手に抱えきれないんだろ。だから、手助けしてもらうんだよ。頼ることも必要なんだぜ。」
そんなこと・・・初めて知った。
「迷惑かかっちゃうかもしれないよ?」
「皆迷惑だなんて思わないさ。ギブアンドテイクなんだから。因みに言う言葉は『ごめんなさい』じゃない。『ありがとう』だ。」
『ありがとう』・・・。なんて優しい響きなんだろう。
今まで、あまり使ったことの無かった言葉。
「涼香は友達沢山いるだろ。思い切ってカミングアウトしてみ。力になってくれっから。後家族にも。俺もさ、ちゃんと、家族に話したんだ。驚いていたけど、わかってくれた。家族は一番近い存在だから。一番お前を心配している。」
亮クンは笑顔だった。あたしは逆に気分が落ち込んだ。
『家族』には言えない。怒られる。馬鹿にされる。あたしがこんな風になったことを知ったら「家の恥だ。」と言うだろう。
小さな頃から父親はあたしに対して特に厳しくて、勉強も外での振舞いも少し間違えるとすぐに怒鳴るようなそんな人だった。長女だったせいかあたしにばかり。貴緒が、あたしなみに怒られていたという記憶はあまり無い。
あたしは怒られることが恐怖になっていって親の言うことを聞くようになった。
小さい頃の親の顔は笑顔より怒った顔しか記憶に無い。
起こられた事しか記憶に無い。
何でだろう。本当はそれ以上に良い記憶が沢山あるはずなのに思い出せない。
両親が喧嘩をするときも大抵あたしのこと。
怒鳴る父さん、あたしを庇い、感情的になる母さん。家の何処へ逃げてもその声が消えることは無い。
あたしも嫌だけど、貴緒にも聞かせたくなんか無かった。
あたしのせいで喧嘩している両親、貴緒はどう思う?
大きくなると貴緒は自然とあたしを庇ってくれるようになった。
両親と貴緒の怒鳴り声。
あたしは・・・どうしてここにいるの?
なんで、あたしのことで喧嘩するの?
あたしはいない方が良い存在だったの?
家族を壊すようなことを運ぶ存在ならいなくなってしまいたい。
あたしは皆に笑顔を運んであげられないなら消えてしまいたい。
溢れる涙、落ちるけど届くことの無い思い。
「やめてよ、あたしのことで喧嘩しないで。あたしは、良い子でいるから。いなくなるから。二人が喧嘩しないように。あたしは、強くなるから。真面目に頑張るから。争わないで、喧嘩しないで。全部全部あたしが悪いの。悪かったの。」
ずっとずっと、そう思ってた。そう思うことしか出来なくて、自分の思い、弱さ全て押さえ込んで我慢して覆い隠すことで過ごしてきた。
そうすれば、誰も争わなくなる。
だから、きっと、いつの間にか真面目でしっかりもので、親の言うことをきちんと聞く「東雲涼香」という形が作られたのかもしれない。
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